久しぶりの栗拾い

40年以上続いた観光栗園を昨年をもって閉園した
でも有志の方がリニューアルして継続している
今までとは違ったスタンスでなかなか好評みたい
全くなくなってしまうと淋しい気がしたが、
規模は縮小したものの観光栗拾いが続いたのはなんだか「ほっ!」と、している
だども
道造は今年は栗山は何もしないでそのままになっている
だども 
閉園はしたもののそれなりに栗の木のお世話をこの一年間してきた
おかげで 500本の栗の木はそれなりに実を着けていて
それどころか 今年は豊作みたいで
栗の実が着きすぎて 枝か裂けている栗の木もあるくらいだ
     久しぶりの栗拾い
   いっぱい拾いました
午後から2時間くらい
結構暑かったけれど ももくもくと拾いました
40年間このかた
「栗は自分で拾うのではなくお客さんに拾ってもらうもの」
ところが 今年は 久しぶりに 何年かぶりに栗を拾った
昨年まで 栗拾いのお客さんは 汗だく状態
今年は 道造が汗だく状態
・・・・お金を出して汗だくで栗を拾いしたい人の気持ちはあまり・・・・
あんな疲れることをお金を払うなんて
人間はいろんなことを「やってみたい」とおもってしまう不思議な動物だと思う
いろんなことをやってみたいと思ってしまうところが 人間なのかもしれない
はたから見たら
  ばかばかしいこと
  意味のないこと
  恥ずかしいこと
  よくないこと
  無駄なこと
  疲れること
  残酷なこと
  ・・・・・・ 
   などなど

その一つに
石窯で焼いてみたいなんて思ってしまうのと同じ次元のことかもしれない

ところで
栗を拾うときにしゃがむ
前かがみになる
お腹が出っ張っているとつっかえる
道造はセミメタボ
それなりにつっかえている
真剣にお腹をへこませなければと 栗を拾う度に思ってはいる

拾った栗の行方ですかぁ~
今年は大盤振る舞いだで
それなりに出荷して  後はみんなに配っている
親戚 友達 近所の人 かつての同僚 それからおらの新しい家を造りに来てくださる職人の方々
今のところ ふところは淋しいが少しだけいい気分でいる
シルバーウイークには親戚・かつての同僚などがちびっ子を連れて拾いに来る
少しばかりにぎやかになりそうだ
 
 「人はなぜ栗を拾うのか」
今回はこのテーマで考察をしてみたい
かつて「栗」は主食であった
縄文時代においては、この栗を食べることにより生きていた
その縄文人のDNAが我々の中に脈々と受け継がれていて
脳の奥の方から
  「栗を拾うんだ!!!」という指令が出され
そのことを意識しないが、ついつい栗を拾いたくなってしまう
簡単に言えば 栗拾いは本能である

これが 長年栗園をやっていて到達した道造の結論である
このことは まだ学会には発表してない
本ブログで初めて公表した

こんなとき いつものように 弓歩さんがやってきて
・・・
「道造さん・・・ 季節の変わり目がアブナイみたいだね
春まだ浅い「木の芽時」が一般的にアブナイとされている
でも
あの暑い夏の間に道造さんの脳が発酵 醸造し
それが
秋風が吹く前当たりの 朝夕の涼しくなるころ 今がアブナイ
まぁ・・・「稲刈り時」があぶない
・・・・
いやぁ~ 道造さんは 季節の変わり目だけでなく
年中アブナイみたいな
  このことはまだ学会に発表してないけどね」
 。。。だって・・・・
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久しぶりの栗ひらい

道造さん、秋ですねえ。僕の田舎では 拾い・拾うではなく、ひらい・ひらうと言います。確かに栗拾いを営業としている時とは違い、自分達で(家族で)栗拾いをするには栗園は広すぎますねえ。体大切に頑張ってくださいね。そうだ、有難うございました。ちょうど宮崎熊本と回っていました。連休中は天気も良くて楽しかったですよ。(お返しは土産話と言う事で)帰宅後は昨日、孫の健君と夜釣りにセイゴ釣りを楽しみました。
秋は新米も出ますし、果物も魚も美味しいですよね。あっ!忘れていました物作りの季節でもありますから、趣味の続きにおもちゃ作りをやります。作って欲しい物ありましたら連絡ください。毎日暇なんですが、時間が取れなく困っています。

Re: 久しぶりの栗ひらい

今作ってもらいたいもの・・・・「自動くりひらい機」
子どもたちに栗を拾ってもらう・・・これは「児童栗拾い」かな
プロフィール

栗山道造

Author:栗山道造
大きな栗山の小さなユンボと中年の物語
ようこそ。ユンボ大好き道造の世界へ。
ユンボは僕のともだち
ちいさなログの山小屋も紹介します。

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